立磐(たていわ)神社

石碑と私、高さは台座の部分から約2m50センチ程、石碑自体の幅は150センチ程。(私の身長は165センチ)台座を含めた全高は約3m30センチ。石は愛媛県産の「伊予の青石」。

おもと界の宝です。

レリーフは前方と両サイドの三方に彫られている。前方部は
内側に湾曲している。両サイドは直線。

石碑の脇にある説明の石板。
石碑の内容と瑞草おもとの説明が彫られている。

白壁が美しい美々津の町並。「伝統的建造物保存地区」に
指定されている。

神社の入り口、この神社は1578年に作られた神社です。
神武天皇に関する様々な言い伝えが残る由緒ある神社。

一番奥が本殿になっている。

建立された方々は当時の宮崎県支部(当時は日本おもと連合会)の会員の皆さんで中心となられていた方は日向市の伊達直之氏との事、昭和59年に建立された。この石碑の向かい側に神武天皇が腰を掛けられたとの言い伝えがある「神武天皇腰掛の岩」が祀られている。
彫られている内容は、「神武天皇御船出の歌伝説」とあり、本文の「日の草の赤が美栄えてとことわに瑞穂の国は栄えまつらむ」との詩が彫られ最後に「日本おもと愛好者建立」となっている。

各家のポストはこの様な神武天皇が乗って行かれた「おき
よ丸」のレリーフが入った郵便ポストで統一されている。なか
なか味のあるポストで私もどうしても欲しくて1個買って帰った。
作られている方が高齢で今後どうなるか不安だとお店の方
が言っていた。(船の部分をおもとに替えたらどうでしょう。)

どうですか、このレリーフの見事な事!台座の幅は180センチ
高さは80センチ。レリーフはこの石碑を作った、地元の石材店の
方と香川県庵治町(銘石の産地として有名)の職人が彫った物、
なにか香川県の私と縁があったのでしょうか?だから取材に私が
行く事になったのかも。

これが「神武天皇腰掛の岩、又は、立縫い岩とも呼ばれている」長さ、高さ共に約1メートル程の小さな岩。

私が先に長崎県で見かけた木彫りのおもとのレリーフの事を書いた時、「最近おもとのレリーフに縁がある」と書いたのはこの石碑の事。協会の
依頼でこの石碑の取材に行っていたので会報が発刊される前に詳しい事を書く訳に行かなかったので、あのような奥歯に物の挟まったような文に
なっていました。この取材の記事は協会会報第181号に記載されています。それにしてもこんなすごい物を個人が建てたのだから建てた方々には改めて敬意を表します。中心となられた伊達氏が娘さんに良く話されていた言葉が素晴らしいので書いておきます。「朝に感謝5分間、夕べに反省10分間」どうですか、実行したい言葉ですね。


もうひとつ書いておきたい事は歴史書や神武天皇関連のホームページを見ても神武天皇は「東征に出発した」と書かれていますが、「本当は御東還したと言わなければいけない!」と、この神社の宮司さんの戸高氏が言われていた。(私も会報の取材文に「東征」と書いたが・・・